5ミリグラム

 ある放課後、屋上に出てたばこを喫っていたら、それを時の生徒会長に発見されて、別段、そんなつもりなんてなかったのに、思い詰めて、自殺しようとしているのだと勘違いされて、涙ながらの説得をうけながら、変な人がいるもんだ、そう思った。私はかえって、その説得をうけてから、自死というものを陽に考えはじめた。たばこをふかす夜、ふつふつとその考えが自分のなかで、次第に大きく育っていくのを感じていた。落ち着かなくなって、兄貴のウイスキーを拝借してがばがば飲んでいると、気がついたら朝、酒とたばこの匂いのなかで目が覚めるのだった。
 生徒会長は、明美といった。明美の明は、公明正大の明。私が学校をさぼっていると、休み時間をぬって、よく電話をよこしてきた。
「またさぼってるの」
「まぁね」
 電波はため息を届ける。
 繁華街から一本入った、しょぼくれた喫茶店で、私はよくシナモンコーヒーを飲んだ。たばこの煙に目を細めて、雑誌をめくったり、窓の外を眺めたり、あるいはうたた寝をした。私のいる時間、お客はほとんどいなかった。店主も奥のほうに引っ込んで、のんきに新聞を開いていた。ここに閉じ込められているみたいだ、と私は思う。私も、お店のおじさんも。おもてはいい天気で、窓際、青色の光がコーヒーカップのふちできらりとはねた。
 たばこなんてやめろ、と兄貴はいう。朝方、適当な朝食のあとに一服やっていると、夜勤から兄貴が帰ってくる。兄貴は眠気と疲労を深く刻み込んだ顔で、私をじろりと見ると、そのように言う。そして一つの大きなあくび。
「学校は?」
「これから行くよ」
「さぼんなよ」
 大きな背中はシャワー室へ消えていく。
 また勝手にウイスキーを飲んだのを叱責される前に、私はとっとと家を出た。一時限目には十分間に合う時間で、けれど素直に学校に行く気にもなれないで、路地裏、猫をからかう朝日のひかり。明美はこういう時にも電話をよこした。
「まだ来てないみたいだけど?」
「いま向かってるところだよ」
「本当に?」
「たぶんね」
 思うに、彼女は私に突っかかりすぎだ。善意の押し売り。彼女の美点はそこにあった。
 生存の理由。
 私はこのごろその考えにとらわれていた。私はその考えを、誰かに打ち明けてしまいたい、と思っていた。けれど、適任は見つからないで、おもちゃをもてあます子供みたいな気分だった。季節は夏のはじまりで、生命があかるく躍動するその予感が、街に、人に、空にみちみちていた。私は仲間はずれにされたようだった。一人あそびは、快く気楽で、かろやかである。

外出の効能

 もともと出不精なたちで、おまけに療養中という身分も手伝ってか、気がつくとずうっと家にいる。みづから外に出よう、と思い立つことがほとんど無い。食事も部屋でゆっくり取りたいし、出かけたいところのないわけでもないが、別に今日じゃなくても、そんな甘えた考えで何日も何日も先延ばしにする(そうして見逃した展覧会や映画がどれだけあったろう)。ひきこもりの弊害になんとなく気が付きつつも、これが心地よいので、見ないふりをする。そうしていつまでも部屋でのんべんだらりとしている。
 友人に外出好きの人がいて、「ひきこもりたい人の気持ちが全然わかんないや」と言う。気持ちが分からないのはまったくのお互いさまなので、首をかしげて不思議だねぇと言い合ったりする。
 それにしても、世の中的には、外出好きの方がよしとされているような気がする。インドア人間は何かと肩身がせまい……気がする(気のせいでしょうか)。外出したところで、いったい、何がどうなるっていうんだ。私のぐちゃぐちゃも世の中のぐちゃぐちゃも、ちっとも良くなりはしないというのに。
 そんな外出の効能について。
1、新鮮な外の空気が吸える(たぶん脳みそにとっていいこと。気晴らしになったり、新しい考えを思いついたり)
2、世界と繋がってる感(人々の営み……)
3、野良猫に会える
 これくらいでしょうか。個人的に、3が重要なのではないかと。
 他にもあったら教えてください。

 生存について。
 最近はくすりを飲みつつ何とか生存しています。web拍手おしてくださる方ありがとうございます。背中を押してもらえる気分です。
 ひねりのない、ありきたりな恋愛の話を書きたいなと思っています。思っているだけで、構想すらまだないのだけど。
 手癖で書いたお話とか、あるいは書きかけのものとかあるので、どうにか調理してしまいたいですね。たとえばこんなやつ。

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 夕方部屋を訪ねたとき、悠はいつもと変わらない様子で、狭いベランダに出て、鉢植えや室外機と一緒になってじっと、燃える茜の空を睨みつけていた。毛先で風のしめりけを、目の端で雲の変形を捉えて、ささいな前兆も逃さないよう全身の神経を尖らせて、そうした彼女の緊張が、ものの少ない部屋中に、かえって充ち満ちているようだった。それこそ、夕焼けのまるっこい空気の入る隙もないくらいに。狩りに臨む猫みたいだと私はいつも思う。
「雨を待っているの」
 いつだか彼女が言っていた。「そうしたら、この夜空を渡ってゆけそうなのだわ」
 その夜も悠はベランダの柵にもたれていて、この雨町は、残酷なくらいに星空が美しかった。
「どこへ行くつもりなの?」
 その質問は黙殺されたように思う。この日も同じだった。はるかー、と声をかけても、彼女は全然気がつかないみたいに、彼女の仕事に夢中で、ぼんやり、首のあたまでそろえられた髪は風に揺られるまま。
「ごはん、ここに置いとくからね」
 まだ温かいお粥を靴箱の上において、それで帰ろうとしたのだけど、ふりかえったところで気が変わって、ため息と一緒に部屋にあがった。どうせ話なんて聞いていないから、そのままほうっておかれて冷たくなってそれでおしまいだ。
「調子はどう?」
 窓辺に寄ると、そこではじめて悠は私に気がついたようだった。ほら。
「来てたのね」
 首をひねって食べ物を一瞥。
「いつも悪いねぇ」
 ゼラニウムの葉がうっすらと夕陽をはねている。
「悪いと思うなら、ちゃんと食べてよ」
「そのうち」
 私はすこし意地悪な気分になっていた。「いいえ。今日は、私の前で完食してくれるまで、帰りませんから」
 悠は露骨に嫌がった。けれど結局私が押し切って、彼女はしぶしぶ、室内に戻ってくるとぺたんと窓際に座り込んだ。私も彼女にならう。この部屋にはテーブルがない。
 通りのいい空気が風を運んで、気まぐれに私たちのあいだを抜けていった。かすかな星の匂い。私はそれで、今日も、雨は降らないだろうと確信する。日照りのつづく土地で、雨待ち、なんていっていたらそのまま漢字をあてられて地名になったのだと聞く。
「明日は降るかしら」
 けれどお粥を口に運びながら、悠は無邪気に尋ねてくる。きっとね、と私は微笑んだ。
 食事のあとで、彼女はすぐに仕事に戻った。ベランダに出て、雨を待ち望む。少しでも前兆が見えれば、雨空を渡るための支度をしないといけないらしい。数少ないチャンスは逃せない。
 がんばってね、と声をかけて、殺風景なその部屋を去った。悠はやっぱり背中を見せて、返事はなし。西を臨む部屋だから、彼女はほとんど真っ暗なシルエットになって私を見送った。私には悠がひどく遠い存在みたいに感じられた。もう一度声をかけようとして、やめた。
 その二日後に彼女は首を吊って死んだ。ドライヤーの線をドアノブに巻きつけて、そこにぶらさがるようにして。足元には、うそつきと書き殴られた遺書みたいな、それにしてはあんまりに簡素なものを残して。
 死体はマンションの裏手で燃やして、それから土の柔らかいところに、埋めた。彼女の煙は深い夜に、すずしく光る星々のなかを、注意深く縫うようにして、空高くのぼっていった。私はだまってそれを見ていた。彼女の願いは天に届いたのかしら、なんて思っていたけれど、翌日も、その翌日も、雨町はやっぱり晴れだった。
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 以上、近況でした。なんとか死なないようにします。

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