悩み

 昨日ぐらいから悩んでいることがあります。
 サービスを使わせてもらっている身としてこういうことを言ってしまうのはとてもアレだと思うのだけど、web拍手ってちょっと使いづらくないですか? UIが前時代的、というか。メッセージの管理とかがめんどくさい。

 それでweb拍手について調べていたらこんなtogetterのまとめを発見してしまい。。。
 web拍手について調べたことと感想 - Togetter
 簡単に言ってしまうと、このweb拍手というサービス、数年前から管理者(管理法人)から放置されていて今後のデバッグや改善はなさそう、ということのようです。そっかー。道理で前時代的なわけだ。過去の遺産、というか。それにしがみついている私。

 それで代替サービスを探しているのですが……あまり良さそうなのがないのです。意外に。(なにか良いのご存知の方、教えて下さい。)
 試しにFC2拍手を使ってみようと思ったのですが、お礼画面にCSSを使えないらしく断念。それに色々分かりづらく使い始める障壁が高い。
 困っています。別に今のままweb拍手使い続けるのも手なのだけど、さすがにろくにメンテも入っていないサービスを使い続けるのはどうなの?という……。

 もういっそwordpressでホームページ作り直すか?みたいなテンションにもなり、血迷ったりもしつつ、そんな今日このごろです。おしまい。

悩み その2

 本が好き。
 そう自負しているのだけど、この頃はあんまり読めてないなぁ、なんて思う。けれどこの、「この頃は〜」ということを私は何度も言っている気がするのだ。この頃は、という言葉で、「最近はちょっと忙しいのだけど、普段はちゃんと読んでます」というようなことをアピールできる。けれど、それをいつも言っているのなら、それはずっと読んでいないということだ。

 そう気がつくとちょっと切ない。「本が好き」というステートメントはもはや正しくなく、「昔は本が好きだった」になりつつあるわけだ。それは嫌だなぁ、と思う。本が好き、な私を私は取り戻したい。

 そういうわけでこの頃は本を買ったり、近所の図書館で借りてきたり、本関係の情報を収集したりしている。読むのが遅いから、2週間で4冊も読めるわけないのに、勢いで借りてきたりする。古本屋さんのおもてに出ているワゴンから、気になったものを片っ端から購入したりする。喉が乾いてるみたいに。

 まず当面は図書館で借りてきたものをやっつけないと。でも読了したらしたで、また新しく図書館から借りてきて、時間に追われながらそれを読んで、また返して借りて……を繰り返していくと、本屋で購入したものを読む時間がないことに気がつく。積ん読ってこうやって生まれるのだなぁ。そもそも、本を新しく借りたり買ったりする前に、私は私の積ん読を消化するべきな気がする。うーん、難しい。

***

 本屋をめぐるうちにひとつ気がついたことがあって、それは「私は流行りの本を追いかけていない」ということだ。先日、直木賞と芥川賞の発表があり、本屋に行くとその受賞作品が平積みになって置いてあるのだけど……私は一瞥するだけで、素通り。一応、へー、とは思う。へー、売ってるんだ(当たり前)。読書好きがそれでいいのか、と思う。

 流行りを追いかけることにあまり魅力を感じないのだ。けれどそれだと、既知の作家を追いかけるばかりで、新しい出会いはない。それで本好きを名乗れるのかな、と疑問。これも悩み。

***

 話は戻るけど、別に「忙しい」ことは本を読まないことの免罪符にはならないな、と思う。忙しい、といっても24時間働いているわけではないし。普通に仕事をしながら、月に10冊、20冊と本を読んでいる人もざらにいるだろう。要は時間の使い方の問題なんだろうな、と思う。

 『時間術大全』という自己啓発本を読んでいる。これが結構面白くて、要は「意識的に時間を使いましょう」ということ言っている本なのだけど、そのためのメソッド・テクニックが詳細に載っている。実践するかは別として、こういうのを読むのは楽しい。
 あとはpha『がんばらない練習』を、ぱらぱらと読んでいる。並行して角田光代『なんでわざわざ中年体育』を読む。最近はエッセイばっかりだ。なんでだろう。

衝撃

 昨日、とてもショッキングで悲しいことがあって、昨日今日と一日寝込んでいた。
 去年の今頃は、「人生なにがあるか分かんないなぁ」と良い意味でほくほくしていて、今は、「人生なにがあるか分かんないなぁ」と悲しい気持ちで思っている。

 私には今、大きく2つの選択肢があって、それらは全く対極のものである。私はジレンマに陥っている。Aという選択肢を選びたい私もいるし、それと真逆のBを選びたい私が同じくらいの重さでいる。こういうとき、どうしたらいいんだろう? さっぱり分からない。

 選ばない、というのも一つの選択なのかなぁ、と思う。様子見、というか。未来の私に託す、というか(未来の私ごめん)。でもいつかは腹をくくって選ばなくちゃいけないって分かっているから苦しい。
 『きらきらひかる』のあとがきで、江國香織は「素直にいえば、恋をしたり信じあったりするのは無謀なことだと思います。どう考えたって蛮勇です。」と言っている。そうだなぁ、そうかもなぁ、なんて思っている。でもそれをしなくちゃ生きていけないのだ、人間。

 基本的に人間の感情は、生存のために最適化されているのだと思っている。人類が発生してから、狩猟の時代を経て農耕の時代を経て、そういう時の試練に耐えるべくして人間の感情はデザインされているのだと思っている。
 裏切りを受けると苦しい。感情は正常に作動している。けれどそれが分かっていながら、人は裏切ったり裏切られたりする。バグか? と思う。行動は感情を裏切る。変な生き物である。

 昨日今日はやるべきことに一切手がつかなかった。「涙があんまり出ない飽和した悲しみにともなう、柔らかな眠気をそっと引きずって」いる。明日は話し合い、という名の決戦がある。私はAとB、どちらを選択するのだろう、あるいは選択しないのだろう。それは明日になるまで、私にも分からない。
 支離滅裂な内容でした。すみません。


inserted by FC2 system