ホットケーキ

 小さい頃からホットケーキが大好きで、「おいしいホットケーキを作る人と結婚する」と公言して憚らなかった。両親には笑われていた。おそらく、幼い子供の冗談に過ぎないと思われていたのだろう。しかしその時の私は本気で、そして大学生三年生となった今でもその気持ちは変わっていなかった。
 しかし現実問題として、ホットケーキを上手に作れる人なんてそうそういないのだった。大学生になってから、二人の男の子と付き合った。例えばその男の子の家に遊びにいって、一晩を共にして、それから朝になって「ホットケーキが食べたい」とねだってみる。すると、決まって近くの喫茶店に連れて行かれた。メニュー表に、ホットケーキではなく、パンケーキと書いてあるような種類の喫茶店だ。
「そうじゃなくて、あなたの焼いたホットケーキが食べたいの」
 と駄々をこねてみても、「俺、自分で焼いたことないし、無理だよ」という返事が返ってくる。彼には私の本気であることが伝わっていないのだ。その手の店で出されるパンケーキは、大抵おいしいのだけれど、私は悲しくなって、馬鹿らしくなって、相手への気持ちも冷めてしまうのだった。
 そんな現実を二度も経験すると、世の中の人はホットケーキにそれほど関心がないのだ、と学ぶ。ほとんどの人間にとってはホットケーキだろうが、パンケーキだろうがどっちでも良くて、私みたいにホットケーキの中に人生がある、と考える節のある人間などごくごく少数派なのだ。
 ある時、友達の家でいわゆる女子会というものをした。その日私は随分と酔いが回ってしまって、家主である佳洋子の好意に甘えて一泊させてもらうことになった。翌朝、香ばしく甘い匂いで目が覚めた。私はゆっくりとベッドから体を起こして、何を作ってるの、とキッチンの方へ声を投げた。すると佳洋子がちらりと顔を覗かせて、
「あ、起きた? 頭痛かったりしない?」
「うん、平気。というか、ベッド奪っちゃってごめん」
「大丈夫。私も使ってたから」
 なにそれ、と文句を言う前に、「あ、焦げちゃう」と佳洋子は呟いてキッチンへと戻っていった。私はのそのそとベッドを抜け出して、窓ガラス越しのすっきりした秋晴れを眺めた。
 出来たよー、と佳洋子が持ってきてくれたのはホットケーキだった。二段重ねで、バターとメープルシロップを添えて。「嫌いじゃない?」と聞かれ、「大好き」と答えた。佳洋子は良かった、と笑った。
 小さなテーブルに向かい合って、私たちは食事を始めた。それは完璧なホットケーキだった。完璧な焼き加減、完璧な膨らみ具合、完璧なバターとシロップの分量、完璧、完璧、完璧。お供がコーヒーというのも完璧。
「結婚して」
 私は言った。佳洋子はきょとんとして、それから笑った。「なにそれ」
「私、本気だよ。女の子でもいい。佳洋子、結婚して」
 私の言葉に佳洋子は、んーと悩むような声を出して、
「それじゃあ、今日デートしてみて、それで決めましょう」
「ほんと? 私、めちゃめちゃ頑張るから」
 佳洋子は笑って、
「じゃあまずは、シャワーを浴びてきたら?」
 その言葉で私は、自分の髪が寝癖でひどいことになっているのを知った。

inserted by FC2 system