きらきら

 イブも当日も空いてないの、と華子に言われた時、私はどうしてかむっとしてしまった。何となく両日とも予定を空けておいた自分が馬鹿みたいだった。もちろん私たちは恋人でも何でもないし、だからむっとする権利が私にあるかと言われれば私は黙るしかない。しかし例の一件以来、何となく華子とは運命共同体であるような感覚があったのだ。それがどうだ。それは所詮私の一方通行の感情に過ぎなかった。
「抜け駆け?」
 私が尋ねると華子は笑った。
「アルバイトがあるの」
「あの喫茶店?」
「そう。クリスマス営業で、いつもより忙しくなりそうなの」
「一日中?」
「そう」
「二日とも?」
「そう」
 労基法違反ね、と言うと、アルバイトには適用されるのかなと華子は首を傾げた。自分から言い出したことだけれど、そんなことはどうでもいいのだ。結局私はアルバイトに優先された。むっとする権利がないのは重々承知だが、私は大いにむっとした。我ながら子供じみてるが。
 奈央はどうなの、と聞かれて、「どうせ暇ですよ」と答えた。あなたのために空けておきました、などとは言えなかった。「一人で寂しくチキンを食べますよ」
「よかったらお店に来てよ」
 私のサンタコス姿も見られるかもよ、と言われて、このぶりっ子め、と罵った。心が惹かれない訳でもなかった。けれどそれはやっぱり惨めだろう。意地を張って部屋で一人きりの聖夜を過ごすことと、どちらがより惨めかしらと考えてみて、嫌になって思考停止した。聖夜を共に過ごす恋人がいないこと自体が既に惨めなのだ。もはや抗いようがない。
 そういう訳で私はクリスマスイブを一人で過ごした。昼間に街を歩いて、あまりのカップルの多さに心を折られた。食材を買い込んで、それからレンタルビデオ屋でスプラッタホラーものの映画を借りた。ケーキは買わなかった。家に帰って映画を見ながら少し手の込んだ料理をした。できあがったものたちは上々の出来だったが、映画の内容が思ったよりもずっとえぐくて、私はすっかり食欲を無くしてしまった。華子が暇だったら今すぐに呼んで食べてもらうのに、と考えて、私は自分を呪った。気分転換におもてへ出た。昼に比べれば外はずっと暗く冷え込んでいた。吐き出す息は白く濁った。私は凍えた。
 コンビニにはたくさんのチキンとたくさんのケーキが売り出されていた。それらを眺めながら、華子のことを考えた。彼女は今頃、サンタのコスチュームとやらを着込んでたくさんのカップルの相手をしているのだろう。本当は彼女のサンタ姿を見たかった。こんなところで何をやってるのだろう、と我に返った。つまらない意地! 私はコンビニを出るとまっすぐに駅へ向かって、電車に乗り込んで街へと出た。
 しかし喫茶店に華子はいなかった。私は店内をきょろきょろと見渡して(カップルばかりだった)、それから私を席へ案内してくれたメガネの男性店員に彼女の行方を訪ねた。その人は苦笑すると、
「市川さんね、用事があるから代わってくれ、って突然連絡よこしてきたんですよ」
 ひどい話ですよね、と彼は言った。なるほどそれはひどい話だ。彼にとっても、私にとっても。無難にコーヒーでも飲もうと思っていたが、注文をビールに変えてもらう。抜け駆けだ。笑って否定したのに。けれど、はっきりと否定していたかしら、と私は華子との会話を思い返してみる。どちらにせよ彼女は私に隠し事をしたのだ。ビールがやってきて私はそれをぐいと煽った。スプラッタホラー鑑賞会なんてどうかしら、と私は考えてみる。この店で、今この瞬間から。プロジェクターさえ手に入れば、真っ白の壁をスクリーン代わりにしてそれは可能のように思えた。そうしたら、ここにいるカップル達はどんな顔をするだろう、と想像してみる。我ながら最低だ。けれど最低なのは華子だ。その時携帯が震えた。まさにその人からの着信だった。
『嘘つき』
 第一声がそれだった。
「……それは私のせりふ」
『一人で寂しくチキンを食べる予定だって、言ってたじゃん』
「そっちこそ、一日中アルバイトだって言ってたじゃん」
『確かに言ったけど、って……今どこにいるの?』
「あんたのバイト先。そっちは? デート?」
『そのつもりだったんだけど。誰かさんのせいで寒空の下待ちぼうけをくらってます』
「何それ。ひどい話ね」
 華子のため息。
『行き違いになってたのね』
 いまいち意味が分からず、私は黙ってビールを飲んだ。
『ケーキを買ってきたの。チキンだけじゃ寂しいでしょ』華子は続ける。『早く帰ってきてね』
 そうして電話は切れた。私はもう一口ビールを飲んで、それから、どうして嘘つき呼ばわりされなくてはならないのかを考えてみた。そして全部を理解した。慌ててビールを飲み干して、お会計を済ませて外へと出る。話が違う! そう叫びたかった。私は駅へと早足で向かいながら、華子に電話をかけ直した。
『はい』
「ねえ、私はサンタコスを見に来たんだけど」
『ああ、それなら』彼女は笑った。『持って帰ってきてるけど。見たいなら後で見せてあげる』
「あと、それから……スプラッタホラーは好き?」
『大嫌い』
「やっぱり? 私も」
 私には言いたい事がたくさんあった。今はそれを全部飲み込んで、早く帰るね、と言って電話を切った。顔を上げるときらきらの街並みがそこにある。現金な私を照らしている。私は彼女の心変わりと、それからこの世界の全てに感謝した。華子はこんな私を笑うかもしれない。大いに結構だった。だってクリスマスイブだもの。我々の心は聖夜を前に寛容であらねばならないのだ。そうして私は、軽い足取りで電車に乗り込む。


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