あけまして

 おめでとうございます。うわ本当に年明けた、という感じです。
 昨年の振り返りとかしたかったけど全然書いてなかったなあ。
 そんなこんなでオリジナル「交差」を書きました。光と目の錯覚のお話です。
 
 anoneの新譜最高なので元気にやっていこうという気持ちです。
 今年もよろしくお願いいたします。

S氏

 先日、S氏とお話をする機会があった。
 私はその約束を大変に恐れた。なにせ彼女は、とにかく嫌なやつ、という評判だったから。直接会ったことはこれまでなかったのだけれど、その偉大な「S氏っぷり」は、方々から耳にたこができるほど聞かされていて、いわく、彼女は客観性ということばが、あの分厚く、黄ばんで、埃くさい辞書から実体をもって立ち上がったような人である。あるいは、幼いころから銀色の鏡と夜に沈む窓ガラスばかり食べてきた人である。その上、中立たれ科学者たれとその「S氏っぷり」を磨く努力を惜しまない人である。そういう訳で、彼女はまったく完璧に嫌なやつらしいのだった。
 そのような刷り込みのために、私は彼女に会うのにずいぶんと緊張をした。前日の晩もなかなか寝つけず、寝返りの数を指折るうちにおもては次第に白んでカーテンの隙間から部屋に差す光が眩しかった。結局少しの寝坊をして、私は約束の十一時に十分だけ遅れた。
 会うなりS氏は不機嫌だった。喉がひりついて、謝罪のことばは妙に掠れた。
 面会は手のひらサイズのこじんまりとした、どこまでも清潔な部屋で行われた。白い壁は四方から私を囲った。私は窮屈な思いで、眼鏡の奥の観察者の目が余計に落ち着かなくさせた。
「では、始めましょうか」
 S氏の声は明るい室内で金属みたいに響いた。
 私はいくつかの質問を受けた。何にお困りですか? 睡眠はちゃんと取れていますか? 食事は? それにぼそぼそと答えると、その都度S氏は手元のノートにペンを走らせた。科学者の実験みたいだ、とぼんやり思った。私は今やモルモットだとかハツカネズミだとか、そのような類のものに過ぎなかった。S氏は温度湿度空調が完全にコントロールされた部屋で眼鏡を凛と光らせていた。彼女が白衣を羽織っていないのが不思議に思われるくらいだった。
「あなたは病気ですね?」
「あなたは恋人を失った過去がありますね?」
「あなたはXXXですね?」
 はい。はい。はい。
 部屋には時計がなかった。私は時間の感覚がどうにも鈍く、その問答は五分で終わったようにも、一時間続いたようにも思えた。

 私はS氏に会うことが決まってから、簡単な遺書をしたためていた。それはこのようである。

「私はどうにも、自分が小さな存在に思えてなりませんので、このような場くらいでは自意識を増大させて、いっぱしの人間気取りで文章を書きたいと思います。そういう訳でこれは随分長くなることだろうと思います。ことばはいくら重ねても尽きないでしょう。
 とにかく今の私にはこれが必要です。このような文章を書き付けて、けれどこれを世に公開するかは、将来の私の——ある心を決めたときの私の、世間への感情に左右されるものと思います。私はこの胸中全てを世に晒さないままで済ますことも、その逆に、センセーショナルに私の幕切れを演出することもできるのですが、それは今の私には遠い話題に思われます。とにかく今は、これが必要で、その欲求のためだけに、私はこれを書くわけです。ある種の、私の悲しい脳みそへの、薬になればいいと、そう願います。
 さて、私の母の話から始めましょう。——。」

 空腹を自覚した頃にS氏との面談は終わった。それでは、といって部屋を出て、白いドアが完全に閉まったとき、私は安堵の気持ちから大きく息を吐いた。S氏は噂と違わず嫌なやつだった、と思った。そうしたら気分が少し晴れていくように思われた。うるさい、うるさい、うるさい。
 帰り道にコーポオリンピアに寄った。インターフォンを鳴らせば尚子はすぐに出て、
「どしたの」
 と、寝ぼけ声だった。
「私、S氏に会ってきたの」
「ふうん」
「泡ののみものを買ってきたの。一緒に飲もうよ」
 そうして部屋に通してもらった。そういえば、S氏の名前は真里というらしいですよ。貰った名刺にそう書いてあったから。

無題

 高校生だったころ、見知らぬ人に突然「あたま悪そう」とマウンティング取られたの今になっても思い出すと腹立つし精神レベルがあのころから成長していないことにも気づいて余計ぐしゃぐしゃする。
 そういうことなのでお手軽に相手の優位に立ちたいときには「あたま悪そう」という言葉が有効ですよ。ただ乱用するとこちらがあたま悪そうと思われますよ。難しいですね。

落下する夕方

 眠りながら暮らすのなんて、わけのないことだ。毎日お昼近くに起きて食事をし、窓の外でも眺めてぼんやりしているうちに、また眠くなって少しうとうとし、途中で多分一、二度目をさす。トイレに立ち、お腹がすいていれば口になにか入れ、場合によっては雑誌をぱらぱらめくったりするかもしれないが、結局またソファにねそべって、浅く淀んだ眠りを眠る。目をさますとすっかり暗くなっている。起きあがってカーテンをしめ、電気をつけテレビをつけ、とりあえず冷蔵庫からセブンアップでもだしてのむ。あとは、食事をしてお風呂に入ればそれでもう一日がおわる。
 このごろ私はとても楽ちんだ。実際、いまだかつてないほど楽に、日々がただ流れ去っていく。冬休みもあと2日だというのに、私はちっともぴりっとしなかった。ぴりっとする理由も思いあたらない。

 江國香織「落下する夕方」より。
 端的に死にたくなる。

無題

 目が覚めて、あれ、なんで生きてるんだっけ、と唐突に思った。なにかを楽しみにして、これまでの人生を生きてきたような気がしたのだけど、それがなんだったのかちっとも思い出せない。寝起きだからだと思いたい。紅茶を飲んで伸びをして、しゃっきり頭が冴えてくるころには、それをちゃんと思い出せるのだと信じたい。でもいくら考えても暗中模索で、その理由を脳みそから取り出せない。全然、見当がつかない。
 これまでどうやって生きてこれたのだろう。それすらよくわからなくなった。

 眠りにつく前はなんだかずっと気分がよかった。あれが夢みたいに思える。

「花泥棒」

 書きました。オリジナル「花泥棒」です。
 SF映画ばっか観てたらこんなになりました。怖い怖い。右脳で書きました、というのは、よく考えず書きました、の意です。

無題

 今日、コカコーラ・ピーチを飲んでいる人を見かけたのだけど、あれ、杏仁豆腐みたいな味で美味しい。ピーチとかいいつつ、ほとんど香りだけで騙されてしまうのね人は。
 周りの人たちがあんまりに優しいのでそれでぐちゃぐちゃになって苦しくなる。ずっと眠りが浅い。大通りを歩けない。このところ炭酸ばっかり飲んでいる。喉が痛くて美味しい。

 今日はT氏と会う約束があって出かけた。私は変に緊張して、約束の三十分も前に指定の喫茶店に入り、ミルクティーを注文、ちびちび飲みつかき混ぜつ、待った。天気のいい日で、大通りに面した窓から車や人の行き交うのを見えた。T氏は時間を少し過ぎてやって来た。彼女はカフェラテを注文していた。
 ああいうのは人格者とは違うのかもしれないけれど、T氏はお熱い説教もそっけない扱いもなしで、私にとって居心地のいい距離感で色々と話をしてくれた。結婚式のことや、眠るための薬のこと。少し、お説教めいたものが無かったわけではないけど、完璧に正しい指摘だったので私は頷くばかりだった。
 やっぱりひとりでぐちゃぐちゃになるのは良くない、外へ出て、歩いて、人と話せば、自分に降ってきた問題は案外ささいなもののように思えてくる。と思ったけれど、私の本質は結局のところぐちゃぐちゃなので、家に帰ってひとり、誰かと電話をしてそれがあんまりに優しい電話だったので、なんだかやりきれないで、眠るのが怖くて、またぐちゃぐちゃした。眠気には勝てず、短い浅い睡眠を小分けにとってから、起き出して炭酸水を飲んだ。ずっとからっぽ。自分が粘土の塊みたいに思えてくる。そんな日でした。

無題

 今日は精X科にかかってきました。
 そしたら「XX病ですね」ですって。なんと。
 まあ何かおかしいのは自分でも分かってたけどさあ。
 それにしても精X科ってもっと根掘り葉掘り色々と聞いてくるのかと覚悟していたのだけど、そうでもなかった(先生に依るのかな)。結構あっさりとXX病宣告されたのでまじすかという感じだった。適当じゃない? 一億総XX社会にするつもりか?
 そしてお薬をもらったのだ。わあ。
 最近読んだ、鳥居みゆき「夜にはずっと深い夜を」に、

 今日もまた薬もらったんだっけ。
 セパゾンセパゾンアビリット、飲んだら怖いよセロクエル♪
 「酒と一緒に飲んだら、記憶飛んじゃうよ」
 布施木先生!
 記憶飛ばすのやめてください。
 記憶飛ばしてもいいから記憶飛ばされた時の記憶は飛ばさないでください。
 そうだ、あたしが小学生の時飛ばした風船はどうなったのですか。
 布施木先生! 答えてください。

 という一節があってかなり好きです。
「一日がずっと夜だったらいいのに」。
 ほんとにね。
 ていうかXX病に薬物療法が有効な時点で「XX病は甘え」論は破綻してるでしょうが。
 Xね。

無題

 集中力の欠如。
 劣等感まるだしの夢。
 ずっとつまらない。

 テレビかなにかを見て、可笑しいところでちょっと笑って、ふっと、それで何になるんだろうという寒気がやってくる。映画でも小説でも同じことが起こる。面白かった、と思った次の瞬間には、「それでお前の本質はなにか変わったのか」と誰かが尋ねてくる。変わるわけない。私の、みじめなつまらない落ちこぼれの本質は依然として私の肌にぴったり張りつくみたいにしてそこにあることに気がついて、息苦しくなる。

 その点、江國香織「アレンテージョ」は素敵。語り手のルイシュが、パートナーであるマヌエルへの劣等感をちっとも隠さないから。「狭量で、偏屈で、陰気で嫉妬深いルイシュ。運転席の男とは、たしかに大違いだ。」(彼らはゲイカップルです)。そんな彼も、物語の最後には豚のスケッチを幼い少女にあげる。それだけのことで、ルイシュの狭量で偏屈で、陰気で嫉妬深いさまや、彼らカップルのあいだに横たわる問題は少しも変わらないのだけど、ルイシュのその心の動きは私には美しく思える。「構わないじゃないか。まったく構わないよ」でオールオッケーのきもち。ひっそりやさしく私をも肯定してくれるような、そんな錯覚。
 あと食事がおいしそうな小説です。お腹がすきますね。

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